わずか『5cm』。〜指の感覚だけで、神経のそばへ歩む技術〜

このコラムを一言で説明
硬膜外麻酔の『5cm』は、安全と技術の境界線

麻酔科医が指先の感覚を研ぎ澄ませて進めるわずか5cmの距離。その道のりには靭帯や骨があり、mm単位の精度が求められます。本記事では、無痛分娩の安全を支えるプロの技術について解説します。

わずか『5cm』。これは硬膜外麻酔で、皮膚から針を進める距離です。

痩せている方はより浅く、ふくよかな方はより深くなる傾向があります。これは脂肪層の厚みが変化してくるためです。アメリカではBMIが50、60といった方もおりますので、麻酔科医としてはなかなか苦労します。面白いことに、お肉の付き方にも個性というものがあり、ものすごい肥満の方でも、肝心な針を刺す場所には脂肪がついていないこともあり、そういう時は、素直にラッキーだなと思います。

わずか5cmの「イライラ棒」?麻酔科医が磨き続ける繊細な技術

さてさて、本題の『5cm』。最近、公開された映画『100m』からインスピレーションを頂きました。このわずか『5cm』をいかに安全に、そして、より速く進めるかに、僕たち、麻酔科医は日夜トレーニングを積んで参りました。そして、この技術は、施設や針が微妙に変わったり、1年もやらないと、すぐに劣化してしまう少々繊細な技術になります。入らないことはないのですが、一定期間やらないと、やはり速度にムラが出てしまうように思います。

この『5cm』。なぜ、そんなに繊細なのか。それは針が通る道のりに答えがあります。イライラ棒というゲームに少し似ているかもしれません(笑)細い道を正しい角度でゆっくりと進み、行き過ぎたら、アウトとなります。

まず針は、皮膚、脂肪という柔らかい場所を通り、背骨の間をくぐり、靭帯という硬い場所を通過します。やがて、その向こう側に5−10mm 位の小さな空間が広がっています。ここが硬膜外腔と呼ばれる空間で、それゆえ、硬膜外麻酔と呼ばれます。この向こう側には、大切な臓器、脊髄があります。なので、ピッタリとそこで針を止めないといけません。ここで大切なことが3つあります。

安全な麻酔のために大切な「3つの要素」

①術者の指の感覚 ②良いポジション ③動かないこと

術者の指の感覚(経験の蓄積)

①術者の指の感覚 ー これを鍛えるために麻酔科研修があります。日本ではなかなか硬膜外麻酔の数に恵まれず、上達になやんいましたが、渡米先のブルックリンの病院では1年に300件❌3年ほどの経験を積みました。やはり、人間は数と経験の生き物であることを身を持って学び、自分の技術が研磨され、自信もついて行きました。特に若手の先生は焦らずに、経験とともに熟成していくものだと思い、成長を楽しんでください。

「かっぱえびせん」のような良いポジション

②良いポジション ー 成功の鍵は、首を前に折り、肩をリラックスさせて、背中を曲げます。ちょうど、かっぱえびせんのエビのような感じです。お腹に赤ちゃんがいる中で、背中をエビのように曲げてもらうのは、心苦しいですが、実はこれがとても大切です。背骨の間を針が通るため、しっかりと背中を曲げることで、そのスペースを最大化できる仕組みです。逆に緊張してしまい、背中が真っ直ぐになったり、逆にそってしまうと針が骨に当たってしまい、手技の時間がより長くなってしまいます。助産師さんがポジションの介助をしてくれるので、その指示にリラックスして身を任せるのがいいかなと思います。

「動かないこと」が最大の安全策

③動かないこと ー ママさんにとって、じっとしていることは、簡単ではないこと。陣痛が来る中で『動かないでくださいね』というのは、正直忍びないです。しかし、ターゲットが動いてしますと、難易度がググッと上がってしまいます。例えるならば、ゴルフというスポーツは止まっている小さなボールを小さなクラブで打ちます。これは止まっているから、成功率が上がるわけですが、当然ボールが動いたら、ミートする確率は減ってしまう、そんなんイメージです。細い針で、小さいターゲットで目指す硬膜外麻酔も同じです。特に後ろには神経の束があるので、動かれるとハラハラしてしまいます。安全性を確保するためにも、是非是非、可能な限り、動かないでいてくださいね。

21世紀でも、頼りになるのは「指の感覚」というアナログな力

さてさて、こんな狭い空間に、どうやって針を進めていくのか。21世紀のテクノロジー全盛期なので、ものすごい機械が出てきそうですが、実は『指の感覚』だけなんです(笑)もちろん、施設によっては超音波を使用してやるところもありますが、ほとんどの場合は『指の感覚』で行います。びっくりですよね。超音波の技術を使わなくでも入るまでトレーニングしている方がほとんど、というのが主な理由かなと思います。また、超音波を使用するとその分、時間がかかるため、忙しい施設ではタイムパフォーマンス的にも割りが合わないようです。では、難しい場合だけ、使えば良いのでは?と思うのですが、この超音波の技術も毎回やっていないと、いざという肥満患者の時には役に立たないとなってしまう。ゆえに多くの術者は『指の感覚』を頼りに針を進めていきます。大切なことは施設ごと、その術者ごとに慣れている方法が一番良いということ。ゆえに、しっかりと信頼できる施設と先生選びが大切になりますね。

『針を刺すのは、抵抗の学問を学ぶ事だ』

以前、先輩に教わったことです。『抵抗の学問』。この意味を本当に理解するには、長い年月がかかりました。なぜなら、頭ではなく、指で覚えないといけないからです。でも一旦覚えてしまいますと、夜中2時に起こされても、すぐに硬膜外麻酔を入れることができるようになります。それくらい、信頼できる学問・感覚です。これは人類が積み上げた貴重な財産だと思います。普通に考えたら、脊髄という大切な臓器の5意味手前に針を進めようという発想には至りません。この奇抜な発想と試行錯誤による方法論の確立が、今の硬膜外麻酔の恩恵をもたらしてくれております。それが今日の無痛分娩という形で、ママさんの分娩体験をより快適なものへと変化させております。

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Column

プロフィール

Profile

永井 遼太郎NAGAI RYOTARO

M.D. 麻酔科医

経歴

  • 獨協医科大学 卒業
  • アメリカ医師国家試験(USMLE)合格
  • 帝京大学麻酔科 入局
  • Maimonides Medical Centerにて
    アメリカ式の麻酔科研修を4年間受ける

資格

  • アメリカ麻酔科専門医

獨協医科大学を卒業し、故郷の千葉で初期研修を受ける。

ニューヨーク州ブルックリンにある、Maimonides Medical Centerにてアメリカ式の麻酔科研修を4年間行う。

その際、人生で初めて無痛分娩に触れ、快適に分娩が出来るという素晴らしさを知る。

当時2016年、日本とアメリカでは、無痛分娩率に10倍以上の差があるという事実を知り、衝撃を受け、今の自分に出来ることはないかと思い、2021年より、インスタグラムにて無痛分娩に関する投稿、オンライン講演を開始。

2024年からはさらに活動を本格的にするため、Youtubeチャネル『無痛分娩ビレッジ』をスタート。

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